滋賀貨物運輸、県内ネット駆使し輸送 都市―山間くまなくカバー
物流企業
2016/11/14 0:00
【滋賀】滋賀貨物運輸(梅本知秋社長、大津市)では、長年かけて構築した県内ネットワークを駆使し、域内輸送に特化させ、小回りの利くサービスで小ロット貨物を中心に取り扱いを拡大してきた。梅本社長(74)は「地元に根差した輸送こそ当社の財産。都市部から山間部まで、くまなくカバーする強みを最大限に生かしていく」と語る。(小菓史和) 1928年、創業者の伊庭栄治郎氏(故人)が、大津市でタクシー事業の傍ら運送業務を開始。当時の大津は、琵琶湖の舟運、旧国鉄と江若鉄道による鉄道輸送の結節点で、物流の要として大いににぎわい、取扱量は急速に拡大、会社組織へと発展した。 その後、戦時統合により、大津、湖西の両地区の統合会社として、41年に滋賀貨物運輸を設立。トラック92台を保有し、県西部をカバーするネットは、今日の基礎となった。 戦争が終わると、統合されていた会社は次々と分離、独立していったが、一般積合貨物自動車運送事業免許、通運事業免許を相次いで取得。京都や大阪へと県外にも営業所を設け、商圏を拡大させた。一方、県内では今津(高島市)、海津(同)と湖西地区に拠点を設置し、69年に江若鉄道が廃止されると、湖西への貨物輸送と集配の要として取扱量を伸ばした。 梅本氏は1963年に入社。この頃から大手特積会社が積極的に路線網を拡大、一般貨物運送事業者も増加した。その後、オイルショックの影響もあり、県外への長距離輸送は徐々に採算が悪化していった。 そこで、不採算となった長距離輸送から思い切って撤退。88年に倉庫とターミナルを備えた湖東配送センター(東近江市)を構え、県東部へと進出し、工場の建設が盛んだった湖南、湖東の両地区に配送ネットワークを築いた。彦根にも出張所を設け、更に湖北地区に集配エリアを広げた。現在では、本社を含め5拠点体制で全県ネットを支える。 「経営資源を県内に集中させたことで、ドライバーの長時間労働は無くなった。昨今、運送業界で大きな課題となっている労働時間短縮は無縁で、安全確保にも大いに役立っている」(梅本氏) 近年は荷物の多品種・小ロット化が進み、湖西地区の山間部では、過疎化に伴う不採算を理由に、大手が集配から撤退するケースも出てきた。このため、同地区に古くからの顧客を持つ滋賀貨物運輸が業務を引き継いだ。創業以来、徹底してきた「サービス主義」が、地場産業である渓流魚の養殖や観光業、そして地域住民への生活物資供給を支えている。 梅本氏は「これからも、創業以来の安全・迅速・確実をモットーに、地元に根差したネットをフル活用し、荷主や地域の皆さんから信頼される輸送を心掛け、質の良いサービスを提供していきたい」と意欲をみせる。 【写真=本社を含め5拠点体制で全県ネットを支え(本社)】